日々が充実しているようで、実はただ時間を埋めているだけ。自問の時間の重要性

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最近ぼくは忙しい。沖縄旅行に、スキー、飲み会、海外旅行、セミナー。

春休みの間はほとんど毎日予定が埋まっている。

 

ぼく自身、大学生という何にも縛られない時間を有効に活用し、

やりたいことをやりたいようにやろうと思って予定を入れまくっている。

 

毎日予定があって一見、リアルが充実しているように見えるかもしれない。

確かにぼくも毎日を満喫していることはしている。

 

だが果たしてそれで良いのだろうか。

 

ぼくは最近、予定はあるのにそれだけではあまり充実感を覚えないのだ。

 

行動による充実感と精神的な充実感は一緒ではないのかもしれない。

 

もともとぼくはただワイワイ遊ぶだけという、

The大学生的な非生産的な時間を過ごすのは好きではない。

 

行動・経験の中から何かをつかみたい、成長したいそう思って予定を組んでいる。

 

旅行もセミナーも、飲み会も何かを得るため、考えるために参加している。

 

しかし、その成長のための予定が効果をなしていない。

成長のために予定をたくさん入れたことが

かえって自らの成長を阻害しているように感じるのだ。

 

それは何故だろう。

 

その答えは自分の時間・考える時間の少なさにある。

 

予定を組みすぎることで、自らが自問自答し、経験を学びに変える時間が取れていないのだ。

ただ行動しているだけでは、自分の成長は促進されない。

 

「豊かな経験」と、それを自らの糧とする「自問の時間」

この二つがそろって初めて、充実感というものを感じられるのだろう。

 

予定を組みすぎるのもよろしくない。

この先色々な予定が決まっているからといってぬか喜びはできない。

 

日々が充実しているようで、実はただ時間を埋めているだけという、

自問の時間の重要性を今日は考えてみた。

 

考えることが欠如していては、それこそ時間の浪費であり、勿体無い。

 

何事も配分が大切だ。

 

一歩一歩ゆっくりと、まだ人生はあるのだから。

 

 

つばやん